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それは杉倉といふ所から来た。塔の山とは反対に、ずつと上手に河原町を出外れて、それから更に急坂を一里ばかり上つた所の、相沢といふ家だつた。相沢と云へばこの近所では誰も知らぬ者はない、そんな不便な土地でありながら大きな酒造家である。使ひの者が来て、急ぎはしないが明日あたりにでも往診してほしい、と云ふことだつた。房一にはそんな相沢みたいな家から往診をたのまれやうとは意外であつた。
遠くの方で誰かが呼んでいた。
この家は上手にある鍵屋といふ旧家の分家だつたが、或る事情でこの一年ばかりの間空家になつていた。こんな家を何も空家にして置かなくてもよかりさうなものだが、そして最初二三ヶ月の間は本家の鍵屋から留守番に人が来ていたのだが、間もなく手がかゝるためか閉めてしまつた。それと云ふのも鍵屋でさへだゝつ広く黴臭い自分の家を持てあましていたからである。鍵屋にかぎらず、維新前から明治大正にかけてひきつゞいた田舎の旧家はかなりの地主にちがひなかつたが、それは形だけは鬱蒼としているが幹が空洞になつた大樹のやうなものだつた。鍵屋はもとは名代の酒造りだつたが、当主の神原文太耶になつていつの間にか止めてしまつた。その代りでもあるまいが、神原はその当時この附近では珍しかつた法学士といふ肩書のためか、次第に政治に身を入れるやうになつて、今では歴年県会議長をつとめていた。家にはめつたに居ない。それで、昔のまゝに格子造りの鍵屋の表口はいつも半ば閉めたやうにひつそりしていた。その母屋おもやの横手から裏にかけてはもう何の役にも立たない古い倉庫が無暗みと大きな屋根と、あの風雨にたゝかれて黒ずんだ汚点しみのついた白壁とを突立てているきりだつた。
「なあに、後から来るのんはほんの擦かすり傷みたいなもんやから、大事ありません。――時にせんせい、何んぼ差上げたらえゝでせう?」
彼は道平の息子で、且つ医者である。これほど病人にとつても周囲の者にとつても安心できることはなかつた。彼等は医者としても房一を信頼し切つていた。若し仮りに、房一が医者としての手落ちを来し、そのために死を招いたとしても、恐らく病人は安んじて瞑目したであらう。なにしろ、息子の手にかゝつていることだつた、これ以上の幸福があらうか――房一が診察している間ぢゆう、ぢつと身体を任かせ切りにしている道平の半開きの眼が、まだ口が利けないので、房一が何か云ふたびにうなづいて見せるその弱々しい、うるんだ眼が、さう云つていた。
これは私の若い時のことである。それから三、四年の後に、「金色夜叉」の塩原温泉の件くだりが『読売新聞』紙上に掲げられた。それを読みながら、私はかんがえた。私がもし一ヵ月以前にかの旅館に投宿して、間貫一はざまかんいちとおなじように、隣座敷の心中の相談をぬすみ聴いたとしたらば、私はどんな処置を取ったであろうか。貫一のように何千円の金を無雑作に投げ出す力がないとすれば、所詮は宿の者に密告して、一先ず彼らの命をつなぐというような月並の手段を取るのほかはあるまい。貫一のような金持でなければ、ああいう立派な解決は附けられそうもない。
「いや、どうも。恐縮です」
「あんたは鮒をたべなさるかね」
「なんだね、クレーの射撃なんてものは昔はなかつたもんだが、こなひだの競馬は僕も見たけれども、子供の時以来十何年ぶりのわけだが、あれはちつとも変つていないね。優勝の景品が米俵だなんてね」
云ひながら、ぽんと軽く下腹をたゝいてみせた。そして、微笑した、悪戯いたづらつ子のやうな目つきで、ぢつと房一の顔をのぞきこんだ。それは驚くほど巧みな打明けだつた。
印袢纏の背の高い男がその時、半シャツの男に向つて目くばせをした。
「どうでせう。いつそあの障子も脇戸もとり払つて、曇り硝子に高間医院といふ字を抜きましてね、厚い二枚戸でも入れたら――」
実際盛子をせき立てることは何もなかつた。房一は上着だのズボンだのを脱ぎながら一人で慌てていた。何かしら騒ぎだつた。ネクタイがうまくとけなかつた。カラアが外れにくかつた。靴下から足が抜けなかつた。これらの物を畳の上にまき散らかせ、足にひつかけしながら、房一はそこらを高麗鼠こまねずみのやうにぐるぐる舞ひをした。それは図体が大きく不器用なだけに恐しく滑稽だつた。盛子は笑ひながら房一について歩き、その腕からワイシャツを巧みにはぎとり、散らかつた物を手早く始末した。